« 心を磨く | トップページ | ネギ蕎麦と紅葉狩り »

家族の傾聴

最近、平日はほとんど実家で夕ご飯を食べさせてもらっています。

5時半に仕事が終わると、車で10分足らずの実家に直行。炊き立てのご飯にお味噌汁、懐かしい母の手料理が並びます。

テレビを見ながら父や母と話しながら食べるのですが、どうしても3人とも商売の気質があるため、テレビの話題からいつの間にか商売や会社経営の話になってしまうこともたびたび。そうなると、それぞれに思いや理想があるためなかなか話が収まらなくなることも。

父は昔から突拍子もないアイデアで見切り発車で行動することが多く、母や私たち子供はその尻拭いばかりさせられていた。習慣とは怖いもので、そのいやな思い出が頭の中にこびりついているので、父が面白半分で行った夢の言葉に、母と私はまるで餌をもらった鯉のように飛びつき、「でもそれは、※△○※△○・・・・」と頭ごなしにけなしてしまいます。

言ってしまってから、困惑する父の顔を見てハッとし「お父さんは冗談で言ったんだよね(゚ー゚;」などとフォローするのですが、家に帰ってからとても落ち込みます。
もう父にはそんな夢を実現するお金も体力も無いのは分かっているのに、昔のことがフラッシュバックしてしまうため反応するのです。

もっとダメだなあと思うのは、たくさん傾聴のことを学び実践しているにもかかわらず、父への傾聴がまったくできていないことです。
高校球児だった父は、野球のニュースを見ると必ず当時のことを話します。もう何十回と聞かされているのでまたか。。。と思いながら聞いています。

でも、昔の栄光や同じことを何度も話すのはお年寄りの傾向ですよね。
認知症の方じゃなくてもそれは同じ。なのに、それを忘れて、対等に話してしまうからちゃんと聴いてあげられないのです。

人は誰でも、自分を認めてもらいたい(存在認知)、そして褒めてもらいたい(正当評価)と言う気持ちを持っています。
父や、義父、そして母の話を聴いていると、その話の裏には正にその二つに凝縮された思いがあることに気づくのです。

「身内への傾聴が成立しないのは期待感があるから」と師事するカウンセリングの先生が言っておられましたが、本当にそのとおりだと思います。
父に何かを期待すると言うよりは、歳をとった父を直視せず、「元気で若かったころの父」と言う存在を今でも期待しているからなのだと思います。

休日をはさんでまた月曜にはご飯を食べに行くので、今度こそ傾聴しなくちゃね。
傾聴の実践はまず身内から!

|

« 心を磨く | トップページ | ネギ蕎麦と紅葉狩り »

カウンセリング」カテゴリの記事

コメント

 お互いに何歳になっても、親子は親子なんです。 日々のそのやり取りが『親子の生のふれあい』、意識しないそのふれあいが『元気な親子のふれあい』なんです。
 年とった親子の関係は「期待感」と言うよりは「何時までも若い時のまま続いている」のでしょう。 淋しい話しですが「親が病気になって入院でもすると、いつの間にか”解りきった子供”になっていますよ」
 いまのまま、いまのまま・・・それだ
元気な親子なんです。

投稿: としょくん | 2009年11月 7日 (土) 06時53分

こんばんわ。

コメントありがとうございます。
お返事遅れてすみません(^-^;
コメント承認制にしたので申し訳ありませんでした。

親子のふれあいに感謝ですね。
親を見て自分の至らなさを反省する日々ですが、うちに父も相変わらずで・・・。
確かに元気な親子です

投稿: とらん | 2009年11月11日 (水) 20時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 心を磨く | トップページ | ネギ蕎麦と紅葉狩り »