2009年7月 8日 (水)

自称トイレ評論家

街中の施設でトイレに入ったときにいつも感じることがあります。

トイレを利用する人のことを、メーカーさんは、施設さんは、デザイナーは、ちゃんと考えているのだろうかと。
特に、福祉関係の施設のトイレに行くと、強烈にそう思うことが多いです。

福祉施設は、お年寄りや子供連れ、障害者の方などがより多く来場されることが予想されます。
それなのに、そういう利用者にちっとも配慮していないトイレが多すぎます。

たとえば、トイレの個室に入ったときの荷物掛け。
ドアの一番上にしか付いていないときなど、いったい身長何センチの人がこの荷物掛けに荷物を掛けられるのだろうかと。
配慮のある施設だと、端のほうに荷物置き用の網棚を置いているところもあるけれど、スペースが狭くてそれさえ無理なところも多い。
私などいつも大荷物なので、こういうのが無いと本当に困るのです。

それと、手を乾かすためのドライヤーの場所が悪くて、トイレを待つ行列ができてしまうとまったく使えないものや、トイレ使用後の水を流すレバーがとても力のいる硬いものだったりも「・・・」となります。

人に優しくと言うのはこういうところからまず見直して欲しいなあと思いますね。

今日行った施設は、栃木県を代表する福祉施設でしたが、やはりトイレの思いやりレベルは最低でした。
でも、ここのトイレには悲しい貼り紙がありました。
「トイレットペーパーや備品を盗まないでください。」
というものでした。
公共施設でこういう貼り紙をするということは、よほどの被害があったのでしょうね。

この利用者にしてこの施設ありは仕方が無いのかもしれないと、自称トイレ評論家の私、上げた拳を下ろさざるをえませんでした。

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2009年7月 6日 (月)

何をしたかではなく何のためにしたかが大切

今話題の「劔岳~点の記~」を観てきました。

人は何をしたかではなく、何のためにしたかが大切なのだと語られます。

「何をしたか」ばかりに光が当てられますが、「何のためにしたか」ということをより深く考えてみると、人としての生き方の重みを感じ、ちゃんと哲学が無きゃ!と思います。

私は、人としての美学が大切だと思っています。

美学は人それぞれ違うと思いますが、もっている人は強いというか、どこか背筋がシャキッとしているような気がします。

柳のようにしなやかに、しかし、生き方の根本的なものは決して揺るがない美学を持っている。
そんな人にあこがれますね。

そういう人に出会うと、ドキッとときめきます。
もちろん、男性でも女性でも。

一見無意味なことに見え、他の人から見ればそれほど価値の無いことでも、信念を持ってやり遂げることは、必ずその人の自信につながることでしょう。

素晴らしい日本映画を堪能させていただき、きちんとメッセージも受け止めることができて満足と感動をお土産に帰ってきました。

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2009年7月 5日 (日)

ご無沙汰でしたが、元気です!

気がつけば、1週間も更新していませんでした(゚ー゚;

特に何があった訳ではありません。

6月中かなり忙しかったこととで多少疲れていたこともありますが、ココログのログイン方法が変わりうまくログインできずにかけない日もありまして・・・。
気がつけば本日に至るでございました。

今日は久々の晴れ間でうれしい休日でした。
朝から張り切って庭の草刈をしましたら、午後0時ごろになり頭痛と睡魔が襲ってきまして、2時間ほどそよそよと涼しい風に吹かれながら、昼寝をしました。
畳のごろんと転がったら、あっという間に夢心地になり、気づいたときはもはや手遅れ。
ほっぺたにしっかりと畳のあとが。。。ううう(;ω;)

でも、おかげですっかり元気を取り戻し、再び家事にいそしみました。

先月は、とにかく忙しくて、さすがに気力体力の限界を感じずにはいられませんでした。
東京へのセミナーの日に、犬が体調不良で急遽病院に連れて行ったり、2日間のセミナー出席での東京往復は疲労にダメ押し状態でしたね。

今月に入ってからも、仕事は月初で忙しいところに、姪っ子たちの引越し作業で一日掃除の手伝いもありました。引越しも何とか一段落です。

今月は、今のところ予定も無く比較的マイペースで過ごせそうですので、久しぶりにボランティアも再開したいところです。

ただ、東京のセミナーで疲れたので、しばらくは遠方に行く講座は避けようと肝に銘じたのですが、埼玉で認知行動療法のセミナーが開催されるのを知り、9月から5回シリーズでまたまた勉強に行くことにしました。
この認知行動療法は、カウンセラーとしてスキルと専門性をつけるために以前から希望していたものでしたので、先送りするわけに行きません。

結局、こうやって忙しさの中に自分を追い込んでいくことになりますが、それが私の元気の秘訣かもしれないですね。
マグロのように、動きを止めたら私らしさが死んでしまうかもしれません。

行き着く先は見えませんが、前に進んでいく道があることに感謝し、毎日を過ごしたいですね。

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2009年6月29日 (月)

バリデーション2DAYセミナーに参加しました。

6月26・27日と、東京で行われた「バリデーション2DAYセミナー」に参加してきました。

バリデーションと言うのは、認知症の方とのコミュニケーションをとるためのあたらしい方法です。

先月1DAYセミナーに参加したのですが、もう少し知りたいと今回の参加になりました。

今回は、介護の現場で働く皆さんが日々悩み考え努力していることを、実際にロールプレイで先生が演じてくださり、認知のお年寄りの困った行動が実はとても深い、本人にとってはもっともな理由の元に現れているものだということがわかりました。

問題行動には必ず理由がある。
そして、今まで我慢してきた感情を吐き出そうと、さまざまな行動として現れる。
その感情を吐き出させることによって、穏やかに自分の人生に終止符を打つ準備ができる。

今回のセミナーで学んだことは、本当に私にとってとても有意義なものになりました。
そして、こういう気持ちでお年寄りに接すると、その方がきっといとおしく思えると感じます。
それは、悩みや思いを抱えるクライエントさんと接することにも共通点があるように思えます。

それにしても、ロールプレイというのはすごいですね。
問題行動の患者さんを演じた方自身が、その方とまったく同じように演じただけで、なぜその方がそういう行動をしていたかがはっきりわかってしまうのです。
5名の方が演じましたが、それぞれに問題行動が違うのに、見ている私たちもはっきりとその理由が見えてしまうのです。

全員がその瞬間に涙と感動でした。
ビッキー先生がバリデーションをするたった2・3分間で、その方が感情を吐き出し、はっきりと理由が映し出され、その行動が収まるのです。
なぜ問題行動をしなければならなかったかが理解できるのです。
信じられないけど、素晴らしいドラマを目の前で見たという感じでした。

バリデーションの目的は、ひとつは感情を外に吐き出させることです。
抑圧され我慢してきた感情や後悔が外に出ないうちは、本人も気がつかないままに、さまざまな行動をするのです。

自分が認知症になってしまったとき、私はどんな感情を吐き出そうとするのでしょうか。
たくさんありすぎて難しいかも。。。。
むしろ、そんな状況にならないためにも、感情はきちんと吐き出し悔いの残らないように日ごろ生活しなければと思いました。

200906271637000 ビッキー先生、私、通訳の飛松さんと撮った記念の写真です。

お二人とも笑顔が素敵でした。

今回のセミナーでも一番強調されていたのは、「共感」でした。
やはり、共感と言うのは言葉で表現するのがとても難しく、でもこれができないとすべてが始まらないというものです。

言葉は無くとも、共感があれば分かり合えるのだそうです。

ビッキー先生、飛松さん、感動をありがとうございました。

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2009年6月23日 (火)

行政の姿勢

知事さんにメールをしたところ、関係部署の担当の方からメールとお電話でお返事が来ました。

地域で認知症の方を見守り支えていこうと言う趣旨の「認知症サポーター」。
この認知症サポーターを養成する講座を開きたいのだが、講座を開くためのキャラバンメイトという資格を得るための講座を開催して欲しいとお願いしたところ、開催予定があるので日時が決定したらお知らせしますと言うお返事でした。

栃木県の県民だよりに「知事にアクセス」というコーナーがあり、メールや投書等で知事さんに意見や要望を伝えることができます。
以前、私が住んでいる市の「市長ホットライン」とかと言う、市長さんに直接メールができるシステムがあったので何度かメールしましたが、こちらが再度要望しない限り「ご意見ありがとうございました」の返事も何も無かったと言う経験があって、今回の知事さんへのメールもダメもとで出して見ました。

すると、ちゃんと「ご意見ありがとうございました」のメールが届き、その後今回のような具体的なお返事がいただけました。
とてもうれしかったですね。
行政に対してきちんと声が通るのは、あまり無いことなので、こういうところがちゃんとしていると栃木県もまだ大丈夫かななんて思います。

今回のように、自分が伝えた要望や意見に対して、具体的な回答は無くてもせめてひと言のお返事は欲しいと思います。

地元の市の対応については、市長宛とは言っても実際は市長さんは目をとおさず、事前の部署で握りつぶされているのが実態だと聞いたので、「腐っている」と思いましたもの。
ただのパフォーマンスで、市民をだましているだけなのだと思うと、市民として情けないと思いました。
しかし、市長を選ぶのも私たち自身だし、私たちの納めた税金で雇っている職員なのですから、私たち自身も彼らにもっと感心を持ち、お互いによくしていこうという気持ちで協力し合うことが必要ですね。

アサーティブな姿勢で「さわやかな自己主張」をもっとしていこうと思いました。

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2009年6月22日 (月)

声のぬくもりを届けましょう

先日のボランティアの定例会があったのですが、納骨と重なったため欠席しました。

この定例会では、毎回はじめに1分間スピーチと言って、参加者全員が近況報告をします。
それを聞いて、お互いの近況を知り話題づくりや信頼関係の構築にお互いに役立てて、会の雰囲気はとても良いものとなっています。
それに、たった1分でも自分の話を全員が真剣に聴いてくれるというのは、話し手にとって本当に満足感があるんです。
この時間が、定例会で一番重要で、一番楽しみな時間と言えると思います。

さて、私は先月はバリデーションセミナー参加と重なり、2ヶ月連続で欠席だったので、私の近況を書いて代表の方にお願いして読んでいただきました。

もちろん、妹のことや自分の仕事のこと、両親のことなど、簡単に書いて、文末は「妹の人生は終わってしまったけれど、私の人生はまだ終わっていないから、限りある命を後悔の無いように生きて行きたい」と締めくくりました。

その日の夜、グループの仲間からお悔やみと励ましの温かいメールが届きました。
私も一日遅れで、感謝のメールを返しました。
すると、今日になって彼女から電話がかかってきました。
私のメールを読んだら、どうしても声を聞かずには行かなくなってしまったと。

彼女はとても温かい方です。
思いやりの深い方です。
でも、わざわざ電話して私を元気付けてくださったことに、私自身とても感動したし、声を聞くことで「温かい血が通った」様な気持ちになりました。

声の持つ力の大きさを改めて実感し、その大切さを痛感しました。

友人からのメールも、なんとなくこれは返信ではなく電話をかけたほうがいいのでは?相手に今必要なのは、声のぬくもりなのでは?と感じたときは必ず電話をするようにしています。
時として文字は冷たさ、声は温かさを運んでくるような気がするのです。

相手の手を煩わすことの無いメールはとても素晴らしいものだと思います。
でも、声が持つ力が必要だと感じた時には、思い切って電話を掛けてみてください。

きっと、あなたの声に心が救われる人もいるはずです。

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2009年6月21日 (日)

納骨

昨日は、妹の納骨の日でした。

連日の雨で心配でしたが、陽ざしも見える日となり一安心でした。

私たちの地域では、葬儀から納骨まで一連の儀式として同じ日に行うことがほとんどですので、葬儀と日を改めての納骨と言うのははじめての経験でした。

石屋さんが早く来てくれて、さっさとお骨をお墓の中に収めてしまい、経験の無い私たち家族は半信半疑でしたが、神主さんが来て第一声「もうお骨は収めてありますよね」だったので、これが今の常識なのねと納得しました。

昨日は特に涙が出るわけではなく、淡々と儀式は進みました。
仏教では仏様になる日が四十九日だと言いますが、神道では「五十日(いそか)の御霊祭(みたままつり)」というのがそれにあたるそうで、その日が喪明けになるのだそうです。
故人も天国に行き、下界の私たち遺族も50日過ぎると今までどおりの生活に戻っていいのだそうです。

祝詞の中で、「心にかかったもやもやした霧が晴れて~」と表現していましたが、本当に昨日までの日々はどこかしらフワフワとし、心の中がすっきりしないもやもやした感じでした。
そうか、そういうわけだったのか・・・と納得です。

納骨後、簡単な食事をし、それそれがそれそれの場所に戻っていきました。

妹は実家の墓に入り、位牌も実家に置くので一安心です。
母も、いろいろと今日までの準備で気を遣っていたので、ホッとしたようです。

私は、妹の仕事を引き継いだので、当分は妹の書いたたくさんの文字を見ながら仕事をするので、いつも一緒にいる気がします。
私と妹の声は電話を通すとそっくりなので、お客様からの電話でも妹のことを説明したりと、妹が亡くなった現実を改めて思い返すことが多いのですが、妹がたくさんの人に愛されたくさんの人に元気を分けてあげていたのだと知り、妹のすごさを改めて実感しています。

お骨はお墓の中だけど、妹は千の風になって自由に飛び回っているのだと思うと、とても癒されます。

天国で再会できたときに、妹に「よく頑張ったね」と言ってもらえるように、みんなで一生懸命まっすぐに生きて行こうねと残された家族で誓い合った納骨の日でした。

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2009年6月18日 (木)

ご褒美もらいました。

さっきブログを書いたあとに、何気なく見つけた歌です。

妹への、私の今の気持ちをそのまま歌にしてくれたようで、とても感動でした。

素敵な歌の贈り物、最高のご褒美です。

良かったら聞いてみてくださいね。

ゆず「逢いたい」です。

http://www.youtube.com/watch?v=Z7xxsKNRDLk&feature=related

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今日でひと月経ちました。

実家の会社の仕事にかかわるようになって、今日で1ヶ月になりました。

以前やっていたとはいえ15年のブランクはかなりなものだし、接客業から離れて6年たつので、久しぶりに領収書を切る手が思わず震えたのが昨日のことのように思えます。

でも、何もわからない中でようやくいろいろなものが見えてくるようになりました。

何がどこにあるかもわからないので、もの探しと掃除からはじまったという感じでしたが、一日の流れや仕事の段取りなどの勘も少しづつ戻ってきましたし、最近は追われる仕事からひとつ先を見越してのペースができつつあります。

ただ、これまでと大きく違っていることは、父の用事などで送迎や病院に行ったりすることが頻繁になったことかな。

今日はこういう仕事を一気に片付けるぞ!と意気込んでいても、ほんの少しの時間でも中断させると段取りも集中力も乱れてしまいます。

でも、仕方ないですね。
父の身近に居て、サポートをすることも大切な時間ですから。

このひと月、仕事が終わると毎日実家に行って夕ご飯を食べて帰ってくるのが日課です。
今日は「お風呂も入っていけば?」と勧められましたが、さすがにいくら実家でもそこまではしたくないのも本音です。

両親も大事ですが、私自身の時間が無くなってしまうのも辛いものがあります。
日々、自分の気持ちを立て直さなければならない状態なので、1人になって解放されたいと言う思いも強いので。

ただ、我ながらこの1ヶ月公私共にかなり忙しかったけど、よく頑張ったなあと言うのが実感です。
自分で自分を褒めたいって、本当にこういう気持ちになるんですね。
ご褒美は何にしようかなあ。うふふです。

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2009年6月16日 (火)

一度やってみたかったこと

ズバリ、犬と添い寝です。

我が家では外飼いなので、近所の人目もあり、庭の芝生で添い寝と言うわけには行きません。
しかし、一度でいいから、アメリカの子供のようにあのフカフカの毛を枕にしてぴったりくっついて寝てみたいなあと、チャンスをもくろんでいました。

そして、今日ついにそれを実行することができました。

といっても、家の中にあげることはできません。
が、弱い雷で玄関内に避難させ網戸にして私もそこに座っていました。
安心してうとうとするわんこをなでていたら、なんだか私も眠くなってきました。

あたりも暗くなってきて、外のわずかな明るさの中で、つい玄関の床に寝崩れました。
わんこたちは下のタイルの上ですが、ほぼ添い寝した感じで顔が近い近いhappy02
時々起きては私の顔を舐めまわします。

うとうとしながら触る動物の毛は最高に気持ちがいいですね。
動物やぬいぐるみ、ムートンなどを触ると、人の頭の中にアルファア波がたくさん出て心が穏やかになるのだそうですよ。
動物セラピーがいいと言うのはそういうことだそうです。

30分くらいまどろんでいたら、背中が痛くなって起きたのですが、気がついたらあちこち蚊に刺されまくりで大変なことになっていました。

ダーリンがいたら絶対にできない事でしたが、今日実現できたことですごく満足です。
誰にもいえないけど、私の中ではなんだかとても得意な気分になりました。

48歳になっても、少女の心を忘れない大人でありたいと思うのでしたcatface

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«どういう人生を送り、死を迎えたいか。